新月 平和へ祈り

もうすぐ新月の時刻です。
静岡県三島市・ 市川バラ園において、綺麗に咲かせることが本当に難しかった「フィオナ」なる白い薔薇があります。「女性的で美しい」と評されるフィオナに新月の時刻とイメージが重なります。師走の忙しさの中にあっても星を見上げてみれば、宇宙とは何と壮大であるかと思いを馳せざるを得ません。宇宙の不動の構えを一切崩さない強さ、そして巨大な力=Powerは峻厳でさえあります。

新月の時刻はその前と比較すると本当に空気が変わります。空気の密度が濃くなるというか、宇宙からの特別に神聖なエネルギーと一瞬、波長が合うような、貴重な時刻と感覚ですね。とても美しいです。 新月の時刻一斉に、沢山の人々が平和の祈りを捧げていることを僕は知っています。
祈り・・・、僕は最近この「祈り」という言葉を強く考えさせられています。 というのは嬉しいことに僕に向かい、様々な祈りに近いメッセージを受け取っている事実、また今年は5回ボランティア活動で海外に行くことが許されました。

日本だけではなく世界の闇と光の幅を知れば、何が本当の命に伝わる祈りとなり得るか感じることが出来るようになります。 太陽が闇を照らしているように、「闇の世界」と言われている場所或いは世界にすら光を注ぐことが大切だと感じています。低次元との波動や関係を、ミカエルの剣で断ち切ることを向上と呼ぶことではなく、実は真理は全くその逆なのです。
自分自身の内部、更には他人に対しても、闇や怒り、不安を愛で溶かし光を注入することが大切です。それこそが「宇宙の自然の摂理」に合わせた生き方だと、僕は思います。

気をつけなければならないのは『あの人は闇だから縁を断ち切りなさい』というような裁きの想念で、これは向上心には全く該当しません。中学校のクラスメイトに『あいつは暗いからハブろうぜ』って言うのと変わりないレベルの低さであり、関係者の多くに苦しみを与えます。

高次元への意識へと向かう時には、低次元やどんな闇でさえも愛おしく感じるのです。自分の周りを取り巻く世界が美しく見えなければ本当に高次の意識とはなっていません。
本当は自分自身の波動が上がるということは目に映る周囲が光り輝いて見え、内からこみ上げる喜びを自然と伝えたくなるような状態と言えるでしょう。

つまり人の幸せだけを祈るということは、その心のどこかに闇への否定を内包する動機を含み、強いて言えば憎悪へのエネルギー、闇への連鎖ということにも繋がりかねません。
『どんな苦しみも訪れず、幸せだけが訪れますように』というような祈りよりも、『様々な経験を基に大いなる喜びに辿り着かせて下さいませ。全ての出来事に対する良い気づきを得ながら、神聖なる大きな喜びを知ることへ宇宙が導いてくれますように・・・』と、僕はクールに祈ります。紙一重の違いかもしれないけど。。。

どんな世界だろうと、誰もが隔たりなく愛を注げるように、この世に愛してはならない対象などないということを、憎しみや苦しみを心の動機にしている人たちが、苦痛を洗い流せるように 喜びや感動が活動の源泉となりますように、 新月の時刻に、平和への祈りを捧げたいと思っています。 

ありがとう。

About TAKESHI HOTTA

Heaven is a place on earth with you.