前世

前世の記憶に触れる瞬間、・・・そう、前世の記憶、僕には少しだけ・・・。
詳しく語れば3つのことで前世の記憶があります。 

初めて前世の記憶に触れたのは幼少期でした。子供らしい純粋さの中で、自身の心の中に無意識に質問した「僕は生まれる前に何をやっていたのだろう?」という問いを発した時のこと・・・。
質問した後のわずかな瞬間、僕は自分が思いもよらなかった想像を超えた映像が、バリバリという音とともに脳に入って来てそのエッセンスを知り得ました。
それはプラチナシルバーに輝く自分の魂が、宇宙から地球へ目指している光景!だったのです。(この光景を「7CHAKRA」の「MULADHARA」にも少し表現しています)

次いで同じく幼少期、窓越しに眺める都会の街並みを眺めながら、地球の文化と僕の記憶の文化との違い・・・、導く何かを頼りに、知らない言葉は絵で補いながらも、僕は地球に存在するのとは明らかに違う事柄を、特に地球とは根本的に違う政治システムなどを、ノートに書き出していたことです。それは長い年月を経た今でも感じるし、同じ記憶を持つ人がこの世にいるということも知り、学び、驚かされました。

最後は、僕自身の魂における進化過程で、「時の芸術」、つまり地球で言うところの「音楽」を選択した記憶があるということです。時の芸術とあくまで拘るのは、選択の際「時の芸術」と認識していたし「時の芸術」と言っていた自分が、記憶が、そうさせています。

以上3つの記憶をもう一度箇条書きにします。

記憶1・生まれる前プラチナシルバーに光る自分の魂が地球へと向かうシーン。
記憶2・地球とは違う政治システムを覚えていること。
記憶3・「時の芸術」を選択したこと。

これらが僕の前世から残存している強い記憶です。

それ以外のことは、瞑想の中で他の記憶も思いだせてもいますが、いずれも前世というよりは、「生と生の間」の出来事で、どれもこれも多次元的な宇宙空間においての出来事だと捉えています。 ここ十数年、前述した事柄以外は思いだそうとしても、僕にはまだ「前世を知る許可が降りていない」と感じていました。
というのは、全ての行動の源泉や発言には必ず『心の動機』というものがあります。前世を知る「心の動機」が、ただの好奇心だけでいいのか・・・、といえば僕は、今までは「NO」と言ってきました。

前世を知れば、必ずや現世の生き方に影響を与えます。 現世に良い影響を与える確信を得られないと、前世にアクセスする事は一般的に危険なのかも知れません。前世の探求にも、ある意味『偉大な知識と要素』が含まれますが、それよりは、「今を生きる喜び」を実感し、今、目の前にある学びの機会に心から感謝し、楽しむことが大切だと僕は判断します。 

ただそんな僕にも、昨年末から「前世を思いださなくては」・・・そう心の中で、『僕の中の誰か』が慌ただしく語りかけてきます。 全く同じ時期に、僕はアジェナチャクラが前よりも、かなり鋭敏になってきていて、新たな第三者の存在を明確に感じ、見ることが出来、その存在から何かを感じ始めているんです。
決まって同じ時刻に、その周波数とコンタクトが出来ることも判ってきた。それは前世ということを意識する度に訪れてきている。 今、何故、前世をこんなに確認しようとする自分がいるのか、言い方を変えれば生まれて来た訳をより強く確認し、使命を正確かつ明確的に軌道修正する必要があるからなのではないか・・・、そう説明せざるを得ないsomethingを感じます。

「自ら瞑想し、アカシックレコードに波長を合わせる」、これが今まで僕の選んできた方法です。人の前世を感じることは幾度となくあり、慎重に注意を払いながらも必要なものだけ感じて見える現象を語ってもきました。しかし自分の前世に関しては立ち位置が違うので、人の前世を見るより難しい一面があると感じます。
前世に関してのシンクロが起きている現在、 そろそろファシリテーターにお願いする時期なのかも知れない。 祈りは・・・、真実に近づく 祈りというものは・・・、喜びへ近づく 祈りとは・・・、愛へと近づく であろう或る日、何も特筆するようなことがないのに「平和」、「人々の幸せ」、「人々の喜び」などを連綿と、無性に祈りたくなることがあるのです。

日々の祈りの中で、 心の中、僕の中の誰かがそう言います。 「どうか私を平和へ導く道具としてお使い下さい」 本当に壮大で、不思議で、神秘的なことだと痛感しています。