自分など所詮まだ秘境に隣接した僻地での田舎拠点暮らしは3年目に過ぎない未熟ものですが、取材で全国各地を巡っていると、「どうしてそこを選んだの??」と良く聞かれるので、答えてみたいと思います。
実は僕が選んだのではない。もし選んでいたとしたら、それは唯一、軽井沢ただ一箇所であると思う。もし今後もひいきする場所があるとしたら北欧ただ一つだとも思う。
最初の質問だけど、「どうしてそこを選んだの??」の回答は僕は選んでなくてリレーインタビューという性質上なんです。
誤解されたくないのは、決して居心地が良いから悪いからとか、人間関係や経済的に悩んで田舎に逃げて村八分を繰り返しているとか、そんな理由で全国を巡っている理由は微塵もない。
都会生まれ都会暮らしの僕からしたら…今後も増えていく全国の拠点にIT系企業的な答えを見出そうと回答してみたいと思います。
北海道にいる理由
18~30歳まで、なんだかんだ音楽の仕事で北海道には毎年来ていたと思う。
現在は音楽活動で北海道にいるわけではなく、OWNEDメディア事業のリレーインタビューコンテンツで、掲載者様たちの紹介のご縁で北海道と言っても広いけど、色んな場所にいきます。
とりわけ、北海道の掲載者様たちにおいては、サスティナブルな自然暮らしを、高度な次元で達成している。
自然の本質の中で、暮らしに深みと循環の理解を与える偉人ばかり。
このサスティナブルな体験は、残念なことにまだ地球上で、人間が作った微妙なカタログの世界、マトリクスの世界の中で眠る人には目覚めの覚醒のガイダンスとなり得るものです。
俯瞰してみれば、地球環境意識、宇宙意識にもつながり、大きな改善をもたらすものだと思っている。
北海道を中心に動いているメディアは、BIASTRA [ビアストラ] https://biastra.jp です。
BIASTRA [ビアストラ]は、このような大義を持って取材に挑んでいるからね。
決して居心地が良いから悪いからなどの理由でいるわけではない。そんな意識で続けるにはあまりにも過酷な環境ですよ。
秘境に隣接してクマもたくさんいるし。突風に吹かれて農具に巻き込まれて間一髪セーフで死にそうになったこともある。畑と田んぼの重労働も半端ではないし。
ただでさえ大変なことをしながら重装備のカメラをもって取材しているんです。
これらに耐えられるのは、まだ都会で自然を忘れてしまっている仲間を、そのマトリクスから解放したいがために続けられることなんです。
1950年代以前の自然栽培農法で、お米も野菜も作った。今年は自山の主から1本、楓の木を許可をいただき、メイプルシロップも樹液から採水して作っている。
けど、これらは全て非売品で売ることは考えていない。仲間にも絶対に売りたくなし、この体験を追体験してほしいと、それが本望なんです。
自然暮らしの集大成としていつか、自分で家を建て、ゼロから複雑にデザインされた生態系を理解しながら地球をダイレクトに感じる生活を高めようと思っている。
イタヤカエデ の樹液をそのまま飲んだことありますか?
きっと深く、地球をダイレクトに感じられますよ。
軽井沢にいる理由
けど、なんだろう。軽井沢は
そんな北海道の超ド田舎で逆に張り詰めて生きている僕にとって、信州軽井沢とは、”絶対的な安心感を抱ける場所”であると断じることが出来ます。
芸術的な喜びがあり、自然の中で眠る安堵感も深く、標高1000Mの心地よさも素晴らしく、既にビジネスで圧倒的に成功してる富裕層が多いことから、人間関係においても心地よいマナーやルールを、礼節ある関係が維持できる。
リレー第3話の篠原さんなんて、「いったいいつまでお礼し続けるんですか?」ってくらい手厚い労いをいつもでも忘れない。
巷には、恩送りやギブ&ギブという精神で、与えたところからは帰ってこないという風潮も理解するが、しかしそれは、お礼をしないで良いという訳ではなく、これを盾に搾取ばかりして生きている人間もこの世の中には実在するのが残念で仕方ない。そういう人間は裁かれるべきところで裁かれて行くのだろう。宇宙的にみればランクの低い星にしか転生できない的な。
軽井沢で運用しているメディアはTABLENOTE [テーブルノート] https://tablenote.jp です。
けど、なんだろう。やっぱり。ね〜。軽井沢は…。
正直に白状すれば軽井沢は、居心地が良くて居る。
芸術を生むならやっぱりここ軽井沢しか考えられない感覚があります。
だけど、軽井沢で北海道のような自然のサスティナブルな自給自足的生活は難しい面があります。
周りは桁違いの富裕層だらけ。フェラーリポルシェ、薪ストーブ3つもある大豪邸、贅の極みが祀られたアンティークハウス。最高峰の意思決定機関のあるビジネス会議もあり、IT面においても意識も技術も指揮能力も錆びつくわけがないような流れが強く、むしろ本気で、何かに高みを目指す人間の精神として、意識がはっきりして、スイッチがニュートラル状態から自然に本気に入る。
安堵感と高みを目指す意識が共存できるところが、軽井沢の不思議なところかな。
あれ?
今日なんでブログ書き始めたんだろって、こんな長文になって思い出したんですけどね(笑)
本当は、今日という2019年3月7日の新月。特別な日になったことを伝えたかったの。
僕にとって軽井沢とは本当に愛のある場所です。
張り切りすぎて移住を焦った、2010-2011年の最初の軽井沢移住は、経済的にはITノマドで生きていけることが逆効果に、なんにもしないで生きていけてしまうということが、、何の貢献もしていないという貢献不足な逆疎外感から精神的に難しいと考えた。
本当に移住を決意するなら、地域とのコミュニケーションも大事だけど、なによりその地域に何を貢献しているのかを真剣に、自分自身だけは、自分のことをわかってあげるような感覚が必要だと思う。
とにかく貢献したかっただけなんだけど。
だから、いま2019年に、9年僕は進化したけど、軽井沢という本気で愛している町に、いまも貢献したくてたまらない。
自分が最初に都会から軽井沢に移住しようとした時、移住生活の情報収拾に苦戦した。
表向きな誘致はたくさんあっても、生活の本質の裏側が東京からは簡単に見えなかった。
なんでもお金で買えて暮らせそうだし、お金があれば生活に何不自由しないだろうと、安易に移住してしまった。
そして、2019年。
いまの僕には軽井沢に多くの仲間が生まれました。
最初の移住をエスコートしてくださった由美さんから始まり、ご縁を大切に育んでおり、軽井沢の生活を裏で支える人たちをリレーインタビューで繋いだんです。
そして 十川渉氏へ
そう。
そして今日。
この記事を公開できることは僕にとって軽井沢への貢献であり、無条件の愛の証なんです。
だからぜひ、読んでください。
7Chakraで僕を知った人も。ITメディアディレクターとして僕を知った人も、SEOの競合として僕を睨んでる人も、僻地でまだネット回線今日引いたよって陶芸家さんも。フォトグラファーとして僕を知った人も。誰あの?外注コンサルタントさん?って感じで企業出入りしている僕を怪しさマックスに思っている人も。
十川渉さんとは、一年間に数回の取材をさせていただきました。
軽井沢彫の伝統工芸に13年間従事し、近年独立した軽井沢の家具職人さんで、デザイナーでもありアーティストでもある。
長期取材をしていたので、密着したアウトテイクの価値ある撮影素材も膨大にあるんです。
きっと映像をシネマ風にも作れるだろうと思うくらいに。
そして、リレーインタビューの記事に完成はない。永遠にブラッシュアップしていくものです。
個人的にも今後、十川さんには、超絡んでいきたいな。
この素晴らしいご縁、マブダチ決定な仲間が軽井沢に誕生したことが人生の最大の喜び。
リレーのバトンを紹介して繋いでくれた篠原さんにも大感謝です。
本当にありがとうございました。
ということで、とにかく僕は軽井沢は好きです。
北海道の修行はその軽井沢生活を更なる深みと循環の理解を学べる
あ!だから俺軽井沢すきなんだ!って気づけるのは北海道での体験があってこそ。