異文化の法律

「今、生きているこの国の法律はどこかがおかしい」

「どこかで知っている記憶と違う」

そんな想いから、「法律における記憶との差異」を書き出していた10代がありました。

教室の窓から見える、新宿の高層ビル群を教室から眺めて

「あのような形態の都市をつくる動機」が分からずに考えてました。

記憶にある法律をすごく沢山書き出しました。

そこに、音に対するバイブレーションの有用性なども既に書いてはいました。

しかしこれは、全て、自分で記憶と思っているものであり、自身の認識が甘ければ妄想と同じです。

故に、自分自身なぜこのようなことを書き連ねるのか、その動機も既に自問自答していました。

洞察力を美意識は連携させることに、自分でいうのもなんですが、きっと天性のものがあったのだとは思います。

記憶にある法律と、いま地球にある法律に決定的に見当たる差異は主にその精神性だと思います。

国を代表してまとめ上に立つべき人物の精神的条件などに関してはこと細かく覚えています。地球とまるで違う基準が、項目が多かったのです。

こんなことを書きつ連ね、その作業をやめ、音の哲学と精神性の発達のための、フィロソフィーに没頭出来はじめたのは16歳だと思います。

「16歳で何があったの?」って言われてますが、全部言わないけど、きっかけは、ほぼ全ての記憶と一致する書物に出合ったこと、とその書物の有用性を確かめさせるかの如く地球人で見たことなのない雰囲気を出す人を眼前にテレパシーを受け、実際数回に渡り、目を合わせてしまったこと。その後何年先にも何度か。

すごいですね、本当のテレパシーを知ったような感覚です。

誰かが信じてくれなくとも、認識が甘くとも、妄想に近くとも、

色々なことを超越した存在はやっぱりいるんだなーって。

あの超越した存在に会えるまで、絶対に手放せないでおこうと思った2つのキーワードが2つあるんです。

またそこに辿り着ける為のコンパスで、それは主に洞察力です。全ての種となる動機を見抜ける洞察力。美しい動機を持った人はやっぱり芸術家におおいかもね。

もう1つは、もっとも大切で笑顔です。

笑顔と洞察力がきっと、宇宙的存在にまで辿り着ける必須のアイテムと僕は勝ってに自己責任で思ってます。

動機に関しては、それが哀しみなのか、病気なのか、子供の為なのか、人それぞれ無数にあって、僕も色々な相談を受けます。僕には期待しているような解答は持ち合わせていないことの方が多いですよ。

「自分には動機なんかなくて、これは天意だ」というスピリチュアルな人ってよくいます。その人がスピリチュアルをやっている動機が分かってしまう場合、みなさんどうしているのでしょうか?

まぁ、僕は何も裁きませんが。

この地上で、天意のもっとも洞察出来るポイントは女神や天使ではなく、地上の草花です。

自然界はもっとも嘘がない。

軽井沢の自然の草花は本当に美しくて

花、草木は、宇宙の源泉に最も近いところで美を謳歌している。