レコードの虚実

「虚」を作り過ぎてしまった 

いま、音楽レコード産業が歴史的に「虚」の状態にあることは、音楽制作のスタイルからしても判りきってしまっています。

技術的に機材が進化して歌に関しては、一字一句差し替えて音程も変えてしまう、男の声のフォルマントを変えて女性のコーラスをつくってしまえるし、他の曲のドラムから、テンポ変えてリズムを作る。楽曲の歌詞も把握していない奏者が弾く4つ前の小節からプレイバックしてアドリブで弾いたものが製品化。統合性がほぼエディターディレクターの手に渡り、その「場」のアーティストの空気が作るような共時性が失われつつある。勿論、現場やアーティストの志向性により千差万別だが。

レコーダーのトラック数が現在のように256トラックも本当は必要ないと思うし、20年以上前の4トラックマルチテープレコーディングに関わる演奏者ほぼ全員が、同時録音だったためもあり、やることをちゃんと理解してた。同時録音だったから、緊張感も全然違った。今はネットでマイナスワンのカラオケが送られてきて、付け足すような共時性やアーティスト本人には逢うこともなく、制作を終えてしまう感じになってきている。アーティストの熱意が、末端まで届いているのか、という疑問が湧いてしまう。しかし利便性の良さが、現状の制作スタイルを昔の高予算のようなスタイルに戻せなくなっている。

レコードから「共時性」の部分を、ダイレクトにリスナーへ伝えるにはどうしたら良いのかな。

具体的にはワンテイク録音だったり一発取り。テイクをミスったとしても「味」としてそのまま製品化する勇気。色々な音楽制作に携わらさせて頂いていますが、「実」の部分「共時性」がいま問われているような気がしてなりません。

リアルとバーチャルリアルが加速度をつけて、制作サイドにプレッシャーを与えています。

例えば

何枚かある自分の写真を人に見せる時に、自分自身では自然な表情より無難に作ってる、そつない表情を人に見せたがるような感覚ではなく、自分のちょっと変顔だけど素な感じの表情も人に見せれるかって話に似ています・・・ 

全編フルCGの映画に飽きた人が、CGを一切使っていないフィルムワークのフランス映画みて原点だって思う感覚に似ているのかな・・・

ありのままを人に見せられるかなって話でした・・・